2カ所の聖地を巡る長野市1泊2日の旅

長野 #宿坊 #聖地巡り #重要文化財
2022.07.13

長野県長野市と戸隠(とがくれ)村を巡ります。

長野市は善光寺の門前町として発展し、武田と上杉の覇権争いの舞台となりました。長野市は善光寺を中心に、武田と上杉の合戦跡を巡ります。

長野市の市街から山の中にある聖地、戸隠へ。
戸隠神社の神聖は空気に触れ、戸隠そばに舌鼓を打ちました。
戸隠神社の奥宮へは往復1時間30分ほどかかります。
十分な時間をとることをおすすめします。

善光寺を中心に発展した長野市

日本最古の仏像が本尊の善光寺

善光寺は1400年ほど前に創建されました。
名称は都から持ち帰った仏像を祀る伽藍を建立したという本田善光(よしみつ)からとられたといわれています。

本尊の一光三尊阿弥陀如来(いっこうさんぞんあみだにょらい)像は、仏教伝来(530~550年頃))とともに朝鮮半島の百済(くだら)から日本に渡ったとされる仏像です。
都に出向いていた信濃出身の善光が、難波(現大阪市)で捨てられていた仏像を持ち帰り、現在の飯田市あたりに祀りました。
その後、現在の地に祀られたのは642年のことです。

戦国時代には武田信玄が甲府(山梨県)に移したり、豊臣秀吉が京都方広寺の本尊として祀ったりと、存続の危機を迎えますが、江戸時代に入りまた現在の地に戻ってきました。

本堂は何度も火災で消失していますが、その都度建て直され、現在のものは1707年に再建されたものです。

また善光寺はどの宗派も受け入れてくれる珍しい寺院です。

善光寺URL:https://www.zenkoji.jp/

本堂は国宝。本尊は絶対秘仏

参道を本堂に向かって歩き、仁王門をくぐり、山門(三門=国の重要文化財)までが仲見世通りです。
山門から正面にあるのが本堂で、国宝に指定されています。間口約24m、奥行約54m、高さ約29mの国内有数の木造建築で、屋根は総檜皮(ひわだ)葺きです

本尊の一光三尊阿弥陀如来像は一番奥左側の「瑠璃壇(るりだん)」に安置されています。
本尊は絶対秘仏として善光寺関係者を含め誰も拝むことはできません。

地下の真っ暗な回廊を巡って“極楽の錠前”に触れる「お戒壇巡り(かいだんめぐり)」が人気になっています。

境内にはさまざまな建物がありますが、本堂右側にある「経堂(きょうどう)」が国の重要文化財、「鐘楼(しょうろう)・梵鐘(ぼんしょう)」が重要美術品に指定されています。
1998年2月7日に始まった長野オリンピックはこの鐘の音が始まりの合図でした。

宿坊でおすすめの体験

賑わいを見せる仲見世通りには、60店舗近くの商店が建ち並んでいます。
おみやげ店やそば屋、仏壇・仏具店が目立ちます。

1736年に境内の堂庭で七味唐辛子を売り出したのが「八幡屋礒五郎」で、以来“善光寺の七味唐辛”で知られています。本店店内では好みの七味唐辛子を調合してくれます。

善光寺には修行僧の宿泊施設である宿坊が39あります。
現在では一般客の宿泊施設として開放されています。元来宿坊はお寺なので、その作法に従った精進料理が味わえます。
また、善光寺で毎日執り行われている“お朝事(あさじ)”に参拝することができます。
ゆっくりと善光寺をお参りしたい人におすすめです。

元善町商盛会(信州善光寺仲見世通り)
URL:http://nakamise.org/

善光寺宿坊組合
URL:https://www.zenkoji.jp/shukubo/

武田・上杉激戦跡「川中島古戦場史跡公園」

戦国時代、善光寺平と呼ばれる千曲川と犀川には挟まれた地域を中心に、武田信玄と上杉謙信の間で歴史に残る戦いが繰り広げられました。

12年間に5回も衝突し、最大の戦いがは1560年に川中島(現長野市小田島町)で勃発した4回目の戦いでした。
両軍をあわせて3万人もの兵士が相対した戦いは、武田信玄の勝利に終わりました。
現在ではこの5回の戦いを総称して「川中島の合戦」といいます。

「川中島の合戦」の痕跡は市内各所に残っていますが、武田軍の本陣のあった川中島八幡原付近は「川中島古戦場史跡公園」として整備されています。
隣接した八幡原神社には「信玄・謙信両雄一騎討ちの像」や「三太刀七太刀之跡の碑」「首塚」など遺跡や記念碑などがあります。

川中島古戦場史跡公園 基本情報

住所
長野県長野市小島田町1384-1

URL
https://www.city.nagano.nagano.jp/site/toshikouen/11379.html

真田家ゆかりの「松代城」

川中島の合戦のとき、武田側の拠点として築かれたといわれる城です。
川中島から少し南にあり、千曲川の右岸に位置しています。

武田時代は「海津城(かいづじょう)」と呼ばれていました。
武田氏の滅亡後さまざまな大名が城主となりましたが、江戸時代の1622年には真田氏が入城し、明治維新まで松代藩としてこの地を治めました。
初代真田信之は13万石の大名で、以降松代は真田10万石の城下町として発展しました。

松代城は1847年の善光寺地震でほとんどが失われてしまいました。
現在は「松代城跡」として整備され、修復工事も行われています。1981年には国の史跡に指定されました。

松代城(信州松代観光協会)
URL:https://www.matsushiro-kankou.com/

修験道者の修行の地、戸隠神社

5つの社からなる「戸隠神社」

善光寺から戸隠神社までは戸隠バードラインを使って約20km、35分で到着します。山の中の道を上がっていくと、宿やそば処が増えてゆき、やがて大きな鳥居が見えてきます。

戸隠神社「中社(ちゅうしゃ)」です。「奥社(おくしゃ)」は中社から4kmほど離れています。
戸隠神社は「奥社」が本社で、中社、宝光社(ほうこうしゃ)、九頭竜社(くずりゅうしゃ)、火之御子社(ひのみこしゃ)の5社からなります。

「奥社」へは歩いて行きます。奥社入口から往復で1時間半ほどです。

戸隠神社URL:https://www.togakushi-jinja.jp/

「中社」の3本杉は天然記念物

戸隠神社創建には伝説があります。
2000年ほど前に力持ちの神様、天手力雄命(あめのたぢからのみこと)が遠くに投げ飛ばした「天岩戸」が、九州の高千穂より飛来して戸隠山になったという話です。

以来、山岳信仰の拠点として発展してきました。
江戸時代までの神仏習合(しんぶつしゅうごう=神社と寺が同居するという国の政策)時代には、寺としての機能も持ち合わせていましたが、明治以降神社に戻っています。

「中社」には比較的大きな本殿があり、観光バスの旅行者や立ち寄っただけの人たちは、ここだけお参りして帰ることも多くなっています。
学業成就、商売繁盛などのご利益があります。
御朱印もこちらでいただけます。

境内には樹齢700〜800年の杉の巨木が3本(1本はご神木)あり、国の天然記念物に指定されています。

「奥社」までは徒歩で往復1時間30分

「中社」から2kmほど歩くと奥社入口に到着します。入口までは車で行けます。また、路線バスもあります。
ここから「奥社」までは2kmほど、徒歩でしか行けません。
中間点の「随神門(ずいしんもん)」まではほぼ平坦な道です。

「随神門」を境に空気感が変わり、神域へ足を踏み入れたことを実感できます。参道の両側は大きな杉並木です。杉並木は国の天然記念物です。

徐々に上り坂がきつくなってきて、最後は石段を登ります。「奥社」の手前に小さな社があります。これが戸隠五社のひとつ「九頭竜社」です。
「九頭竜社」は水の神様で、ご利益は雨乞い、なぜが虫歯、縁結びなどです。

階段を上りきったところが「奥社」で、ご祭神は「天岩戸」を投げ飛ばした天手力雄命です。
ここが戸隠神社の本社で、必願成就、五穀豊穣、必勝などのご利益があります。

往復で90分ほどかかりますが、ここに行かずして戸隠神社に行ったことにはなりません。
ゆっくりと時間を作って、ちゃんと歩ける服や靴を用意しましょう。
絶対におすすめです。

「宝光社」「火之御子社」へは神道で

「宝光社」や「火之御子社」も時間があったら是非立ち寄ってください。

「宝光社」と「火之御子社」は「中社」から神道(かんみち)と呼ばれる参道を下ります。
700mほどで「火之御子社」があります。芸能の神様で、縁結びにもご利益があります。

さらに700mで「宝光社」です。直接境内に入ります。正面はバス通りから270段あまりの階段を上ります。
社殿は神社というよりお寺のような建物です。神仏習合時代の名残がここにあります。
学問や技芸、裁縫などのご利益があります。安産、女性の守り神としても知られています。

山中のもてなし料理だった「戸隠そば」

戸隠で有名なのは一に「戸隠神社」で次は「戸隠そば」でしょう。
もしかして全国的には「戸隠そば」の方が知られているかもしれませんね。
どうして戸隠ではそばが名産になったのでしょうか。

信州はもともとそばの里ですが、戸隠では修験者の携帯食料として重宝されました。
当時のそばの食べ方は今の“切りそば”ではなく、そば粉にお湯を足して練る“そばがき”です。
その後江戸時代には神社の来訪者へのもてなし料理としてそばがきが出されていました。

現在ではそばがきは“そばきり(きりそば)”に変わりましたが、このそばでもてなす風習が戸隠そばの原点になっています。
戸隠そばは盛り方が独特です。一人前を一口ずつ5~6つの束を並べています。
“ぼっち盛り”といい、名称の由来ははっきりしないようです。

そば処は中社の鳥居脇に集中していますが、奥社入り口や宝光社付近にもあります。全部で45軒ほどにもなります。
どこが美味しいのか分かりませんが、私たちは中社の鳥居に向かって右側すぐの「蕎麦処 うずらや」で食べました。行列ができるほどの人気です。
また、戸隠神社のホームページでは奥社入口にある「奥社の茶屋」を勧めています。

戸隠そば(戸隠観光協会)
URL:https://togakushi-21.jp/spot/genre/soba/

まとめ

長野県の2か所の聖地を中心に巡りましたが、いかがでしたか。
善光寺はその宗派でも受け入れてくれるお寺なので、作法も気にしなくて助かります。
また戸隠神社は「奥社」まで行くにはちょっと大変ですが、神聖な空気に触れるだけでも価値はあります。

長野市には飯綱高原や隣接して小布施、白馬などの観光地があります。
日程の許す限りいろいろ巡ってみたいと思っています。